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明治侠客伝 三代目襲名 : ミニ英和和英辞書
明治侠客伝 三代目襲名[めいじきょうかくでん さんだいめしゅうめい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

明治 : [めいじ]
 【名詞】 1. Meiji era 
: [きゃん]
  1. (adj-na,n) tomboy 2. bobby soxer 3. flapper
侠客 : [きょうかく, きょうきゃく]
 【名詞】 1. self-styled humanitarian 2. chivalrous person
: [きゃく]
 【名詞】 1. guest 2. customer 
: [でん, てん, つたえ]
 【名詞】 1. legend 2. tradition 3. life 4. biography 5. comment 6. communication
: [み]
  1. (num) three 
三代 : [さんだい]
 【名詞】 1. three generations 2. the third 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [め, もく]
 【名詞】 1. (1) item 2. division 3. class 4. (2) piece (in Go)
襲名 : [しゅうめい]
  1. (n,vs) succession to another's professional name 
: [な]
 【名詞】 1. name 2. reputation 

明治侠客伝 三代目襲名 : ウィキペディア日本語版
明治侠客伝 三代目襲名[めいじきょうかくでん さんだいめしゅうめい]

明治侠客伝 三代目襲名』(めいじきょうかくでん さんだいめしゅうめい)は、1965年(昭和40年)公開の日本映画加藤泰監督、東映京都撮影所製作、東映配給。カラー映画(フジカラー)、シネマスコープ、8巻 / 2,467メートル(1時間30分)。
== 概要 ==
加藤泰が初めて手掛けた本格的な任侠映画である。
当時、明治から昭和初期を舞台にした新聞小説などを書いていた紙屋五平の、まだ原稿用紙に書かれたままのプロット書きが原案となっている(後に雑誌「小説倶楽部」に完成作品が掲載されている)〔『加藤泰・自伝と自作を語る』、世界の映画作家 14、p.81.加藤の回想によれば、紙屋五郎の原案は原稿用紙数枚程度のプロット書きだったという。〕。加藤泰は前年の1964年に、紙屋五平原作の『車夫遊侠伝 喧嘩辰』を監督しているが、それは任侠ものというよりも明治時代を舞台にした人情ドラマの色彩が強く、本格的な任侠映画路線の中に組み入れられた本作品の監督を企画の俊藤浩滋から依頼された際には難色を示している〔『第4章 加藤泰監督作品』、加藤泰映画華、p.324-326.〕。最終的に、加藤は俊藤に「長谷川伸のような男と女の世界を描けるなら監督を引き受ける」という条件を出して承諾することになった。その加藤の要求は、本編内における、主人公・菊池浅次郎と娼妓・初栄のラブストーリーとして実現している〔。
映画がまだ量産されていた1965年当時の撮影所において、本作品も撮影期間が18日間という極端に短い日程で仕上げることを会社側から要求されている〔。加藤泰は『瞼の母』(1962年)で既に撮影日数15日間というタイトなスケジュールを経験しており、短い期間で撮影を完了するためにB班スタッフを編成して映画の半分を任せる手法をとっていた〔『加藤泰・自伝と自作を語る』、世界の映画作家 14、p.81-82.〕。本作品でも、加藤は『瞼の母』でB班監督を任せた倉田準二を再び起用し、2班編成による撮影を敢行している〔。加藤泰はこの2班制を「十八日を四十五日ぐらいに使った」と語っている〔。汐路章演じる殺し屋が嵐寛寿郎演じる大親分を襲撃する冒頭の大阪喧嘩祭りのシーンでは、汐路の回想によれば撮影期間短縮のためにセットを組まずブルーのホリゾントをバックにして演技をしたという〔。また、俊藤の回想によれば、他にも加藤と鶴田浩二の意思疎通がうまくいかず、時には演出をめぐって加藤と鶴田が喧嘩寸前の状態になるなど、数多くの問題を抱えた撮影だったというが〔、出来上がった作品は任侠映画ファンである若い観客層を呼び込んでヒットし、1971年に別冊キネマ旬報『任侠映画大全集』で任侠映画ベストテンを選定した際にはベストワンに選ばれた〔別冊キネマ旬報『任侠映画大全集』、1971年。〕。製作後40数年を経た今もなお、山根貞男などの映画評論家や観客からは「名作」の呼び声も高く、俊藤は生前「撮影中は色々なことがあったシャシン(本作品)が名作になるんだから、映画製作というのは何とも面白い、奥の深いもんです」と感慨深げに語っている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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